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今回は、予想していたよりも重要な回だった。

私は、「四畳半神話大系」をSFだと考えている。並行世界というSF的ギミックを用いているから、というだけの理由ではない。SF的道具立ては十分条件ではないのだ。
原作で、樋口師匠のセリフに「可能性という言葉を無限定に使ってはならない。我々を規定するのは、我々の持つ可能性ではなく、我々の持つ不可能性だ」(引用不正確。後に訂正予定)というものがある。登美彦氏が並行世界を使って描いたのは、どんな選択をしても自分が自分である限り、大した違いはない、もっと現実を受け容れた上で、見方を変えるなりして幸せになろう、ということが大きな一角であろう。このセリフに、この作品の真のSF性が凝縮されている。
今回、これに対応する樋口師匠のセリフがあった。「不可能性」という言葉が使われたかどうかは確認できず、その点、はっきり言って欲しかったので残念だが、おおよそ同じ内容だった。つまり、テーマの根幹をなすシーンが今回あったということだ。

原作では明石さんと結ばれても、そのサークルを選んだこと、小津と出会ったことの後悔の念が拭いきれないのに、アニメ版では全く良い目を見ず、後悔しかなかった。しかも前回では明石さんにまで騙され(諸事情により見ていないので、トンチンカンかもしれない)…
「並行」よりも「繰り返し」の感覚が強いアニメ版であるから、自転車にこやか整理軍総長として、今までの鬱憤を晴らすかの様に悪に走るのも、わかる気がする。
我が世の春を謳歌する「私」。しかし、何かが違う。薔薇色のキャンパスライフとはこんなものだったのか…?明石さんの飛行機を盗む代わりに、大切なものを喪ったのではないか?
そんな状態の時に、人の不幸をネタに飯を喰らい、私の足を引っ張り、悪事の限りを尽くしていた小津が、実はキャンパスライフを謳歌し、しかも純愛に殉じて全てを失おうとしている…
唯一の友人の手酷い裏切り――いや、小津は裏切ったつもりはないのかもしれない。しかし、落下転落しながら彼女の手をとる小津の姿は、私の心を酷く傷つけた。

今回のラストは時計台の逆回しではなく、四畳半が「私」を閉じ込める様子だったことにお気づきだろう。「私」はこのまま引きこもり、その負のエネルギーで四畳半を「出たくとも出られない」状態(一応ボカしておく)になってしまうのではないだろうか、と私は予想する。
そういえば「ほんわか」の回でヒゲの男に遭遇したのは、小津がほんわかを襲撃した夜だった…今、公式サイトを確かめたら、次回は、「私」がどのサークルにも入らなかった世界の話らしい。うーむ、今まで私が述べたことは一体…?

続きがあるが、とりあえず一旦ここまで投稿する。追記にするか、別記事を立てるかは検討中だ。
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