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6月末ごろにみた。


概ね良い。原作が連作短編だから一つの映画としてまとまるか不安だったが、エピソードをまるまる一つ落とし、絡みを増やしたことで解決。

いただけなかったのは、
・ゴンちゃん=谷村美月はミスキャストでは
谷村美月は都会的で線病質な感じ。田舎育ちの天然娘か?
年齢的には逆転してしまうが、えっちゃん役の有村架純と入れ替えた方がよかった。

・安めぐみはアウト
寝とり女役が安めぐみは絶対だめ。安めぐみは容姿を売る仕事をしている以上、中谷美紀とどっちが「いい女」かなんて高度に好みの問題である。
説得力が減じた。

・マンガ的演出
ゴンちゃんカップルが互いにズキュンと来るシーンで背景が爆風なり花なりに急になったが必然性が感じられなかった。他と浮いていた。
しかも作りがチープでうそ寒くなるだけだった。



一番良かったのは愛菜ちゃんが可愛かったこと!
関西弁は反則。
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「星の裁き」っていうからナディア的なものを期待したのに、
杖から光線が出るだけかー

まあ、ナディア的なあるいはラピュタ的なものが出たら、
体制側含め誰も助からんけどね。

ノイタミナ

「海月姫」みてました(でも感想書く余裕がなかった)。
いま、「フラクタル」をみています。やっぱり感想書く余裕はなさそう。

まるマ3期が終わって以来、観たアニメがブランクあるけど全てノイタミナ、というのはなんか悔しいというかある意味不健康というかあまりいい気持ちはしませんが仕方がない。

カムバック、衛星ビーンズ劇場!
日5スタドラとか、観ればハマったのかしらね? でもあれは絵柄が好みじゃないからなぁ…


フラクタルは、ところどころ西魔女を彷彿とさせますね。
♪昼の星に~
とか
「星(バルーン)が落ちる」
とか。
あと
ネッサとか詩人(バード)だろ。

パクリっと言いたいのではなく、好みの世界観だということです。

キャラがもう少し魅力的であれば…つまり現状は類型的な萌えでしかなく、人間性があまり描かれていない…てゆうか女の子多すぎ(個人の意見です)
小津の顔!
アニメ化の一報を知り、直ぐに公式サイトを確認した際の、キャラクター原案段階の小津の顔と、実際のキャラクターデザインの顔とがかなり異なることは、以前から気になっていた。
今回の小津の顔は原案(OPでも登場)に近かった気がする。中間くらいだろうか。小津の人間離れした顔は「私」の主観であるという説明を何かで読んだ。先入観のない目で見た、真の顔が、あれなのだろうか。小津を人間らしく描くとああなるのだろうが、かなり印象が違う。
(私の知り合いに似ているが、そう言っても多分彼は喜ぶまい)
決して美男ではないが純情そうな顔をしている「彼女の前ではいい子でいる」小津の顔が初めて登場したのは小津のスマートフォンだ。原作と比較して時代の変化を感じる。しかし考えてみると、小津はいかにもスマートフォンを持っていそうだ。


他のどの世界でも、小津が唯一の友人であることに気づいた「私」は、小津の悪質さに気づきながらも、小津に肩入れしていくが、これはやはり実際には小津を知らないのが良かったのかもしれない。そうだとすれば、四畳半主義者の「私」が小津を知らないという設定も納得できる。


「私」が小津の名を叫びながら走るシーン。走っている間に「私」の格好がどんどん以前の回のものに切り替わっていく。ここで、「四畳半主義者」以外の世界の「私」も救済されたような気がして、涙が零れそうになった。
しかし、同時に、「四畳半神話大系は泣くような話ではない」、そんな気がしていた。
そこへ来て、ハダカである。無意味なハダカ。感動は一気に背景に退いてしまった。
これがまさに絶妙な塩梅で、「四畳半神話大系」として丁度よい感動具合だった。「四畳半神話大系」は恥じらいの文学。正面切って泣かせるようなものではないのだ。

まあ、見ず知らずのすっぱの男に抱きつかれた小津の心中は…御愁傷様、ということで。

ラストは、「私」と小津との役割の交錯がわかりやすく表現されていた。

◆◇◆

オープニング映像冒頭は、初回放送から、四畳半世界に閉じ込められることを暗示しており、白黒と相まって、閉塞感をよく演出していた。曲の雰囲気も合っていた。

私は以前、四畳半神話大系における「不可能性」という概念の重要性に言及した。

しかし、今回この最終回の最後に流れたオープニングは、曲も、映像も同じなのにもかかわらず、いつもの閉塞感が逆転して、「無限に広がる可能性」といった明るさを感じさせた。私たちの一つひとつの選択から無数の世界が生まれ、どこでもそれなりに幸せである。
樋口師匠が「不可能性」について語ったことは、裏から言えばこういうことなのではないか。

クルクル回転するキャラクター画像のところなどで、「さようなら」とか「またいつか」などの文字が混じっていた遊びも楽しかった。
当初はこれほど名残惜しくなるとは思わなかった。
さようなら、また会う日まで。
今度は「有頂天家族」を希望する。
方向性としてはおおよそ期待通りであり、質としては期待以上だった。


冒頭、前回の直接の続きかと思いきや(後で実際にそうだとわかるのだが)、「叶うならば、もう一度あの日に戻りたい!」で、巻き戻り、エンディングが始まったのには心底驚いた。
常々、エンディングがロゴから始まるのが気になっていて、オープニングのつもりで制作していたのだろうかとまで思っていたが、実際にオープニングとして視聴すると、やはり曲調がオープニング的ではないと思う。
かといって、印象が悪いわけではない。演出としては効果的だった。毎回のエンディングは、毎回の「私」の後悔が無駄であること、何度やり直しても何を選んでも同じような四畳半世界のままであること、「囚われている」という強い感覚を私たちに抱かせるものである。前回は文字通りに囚われてしまったので、エンディングで「囚われている」という感覚は最高潮に達した。しかし、1週間経つ間にその感覚はどうしても弱まってしまう。その弱まった感覚をもう一度ピークに持ってこさせる、よい演出だ、と思った。オープニング映像も「囚われ感覚」を喚起するものであるが(後述)、実際に四畳半世界に独り閉じ込められているので、四畳半の外の世界が描かれず、それどころかキャラクターすら1人として登場しない、エンディングの方が、より効果的だろう。

通常のオープニングよりもクレジットが読みやすかったのも良かった。通常のオープニングは文字の移ろいが速すぎて私の動体視力ではどうにもならなかったのだ。「この後、本編が始まります」と出していたのも、面白くもあり、わかりやすくもあった。これがなければ、本編で寝落ちしていたのか!?という不安を抱きかねない。


前回と今回の内容が、私の中で混乱しているのだが、ご容赦いただきたい。

独りカステラを乱暴に貪り食い、涙するのは今回だったか。
「大きなカステラを1人で食うことほど寂しいことはありませんからね」うろ覚えだが、第1話(多分)での小津のセリフである。

小津をはじめ、樋口師匠、城ヶ崎、顔舐め羽貫さん、「どうしてあんたにそんなこと教えなきゃならないの」「これはモチグマンといって…」「先輩は阿呆です」の明石さん、思えば、程度の差こそあれ、まともな登場人物は1人としていない。この濃ゆい人々の影を、「私」は四畳半世界に見ていく。これだけ濃い人々なら、四畳半の中の情報だけからでも、あれだけ詳細にわかってもいいのかも知れない。ただ、「私」がいかにも日記などをつけていそうな性格に見えるから、今までの回で日記を書くシーンを出すなりして伏線を張っておいた方が良かった。

(つづく)

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